京都の疏水 |
京都の疏水物語 |
京都の疏水物語京都の疏水物語は、明治2年に東京へ都が移り、衰退していく京都の復興を図るため、 疏水事業を明治18年(1885)に計画したことに始まります。 いよいよ近代日本の幕開けです! 明治14年2月、京都府知事に任命された北垣国道は、水の豊かな琵琶湖に着目し、 疏水を開削することにより、琵琶湖と宇治川を結ぶ水運を開き、同時に動力(水車)、 かんがい、防火などに利用して、京都の産業を振興しようとしました。 |
| 【疏水事業】 京都の疏水は琵琶湖疏水と呼ばれ、 「第1疏水」、「疏水分線」、「第2疏水」に分けられます。 ・第1疏水、疏水分線は明治18年(1885)に着工 し、明治27年(1894) に完成 ・第2疏水は明治41年(1908)に着工し、明治45 年(1912) に完成 ☆この事業のすごい点(1) 北垣知事は、この事業の主任技師として、工部大学校(現在の東京大学) を卒業したばかりの青年技師 田辺朔郎を選任しました。 日本人の技術で行う土木工事としては、今までに例を見ない大工事であり、 夜に技術者を養成、昼には実践するという現代では想像もつかない努力の 積み重ねでした。 ☆この事業のすごい点(2) 水の利用方法について、視察のためアメリカを訪れた田辺は、水力発電の アイデアを取り入れることにしました。 明治24年、蹴上に日本最初の商業用水力発電所が稼動したことは、 わが国の文明史に大きな足跡を残しています。 |
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| 【第1疏水】 大津〜蹴上〜夷川発電所〜伏見 大津市三保ヶ崎の琵琶湖取水点から長等山をトンネルで抜け、山科北部の 山麓をめぐり蹴上を出て、蹴上から約36mの落差をインクライン(傾斜鉄道)で下り、 夷川ダム、夷川発電所を経て鴨川に出ます。 鴨川合流点から下流は鴨川沿いに南下、深草、伏見を経て濠川に出ます。 【疏水分線】 蹴上〜南禅寺〜松ヶ崎〜堀川 蹴上からは北に向かう疏水分線が分岐しており、京の夏を飾る “送り火” として知られる大文字(如意岳)の山麓に沿って、南禅寺、若王子、吉田山 の東北を経て、高野、下鴨、堀川と南から北へ、その後西へ流れています。 ☆見どころ(1) ― 南禅寺水路閣 南禅寺境内に、異国風建造物の水路閣が設けられています。建設当時は 古都の景観を損ねるとして反対の声もあったといいます。 今ではそれが歴史的な風土にすっかり馴染み、 落ち着いた景観を醸し出しています。 ☆見どころ(2) ― 哲学の道 「若王子〜銀閣寺道」は、哲学者 西田幾多郎や、文化人がこよなく愛し、 瞑想にふけった散策路であり、現在では「哲学の道」として多くの人々に親しまれ、 四季を通じて訪れる人々の心をなごませてくれます。 |
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| 【第2疏水】 第2疏水はほぼ全線(延長約7.4km)がトンネルであり、 蹴上で第1疏水と合流します。 この疏水がトンネルなのは、水道に利用されるので汚染を防ぐためであった といわれています。 琵琶湖疏水には日本で初めての技術が多く取り入れられており、近代化遺産 として非常に価値が高いものです。 「琵琶湖疏水記念館」には、建設当時の疏水関連の図面や絵図、 工事に関わった人々の苦労をしのばせるいろいろな資料が展示されています。 ぜひお立ち寄りください。 ※このサイトは京都市上下水道局ホームぺージ琵琶湖疏水 を参考にさせていただきました。 |
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